キリマンジャロブログ

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    カテゴリ: 一代教

    つまりは、怪しい宗教でもなんでもなく、現代科学よりも科学的と言えるかも。
    人によっては仏教は宗教じゃないと言う人もいる。



    人生は修行だなんていうのは権力者や資本家連中が労働者にいう事を聞かせるための都合のいい考えだ。
    このことに気付いたニーチェは「神は死んだ」とか「キリスト教は奴隷の宗教だ」と言ってこれを批判し、マルクスに至っては「宗教は阿片だ」と言った。
    大昔に、この事を指摘してくれた人がいるのに未だに、巷の自己啓発等では蔓延っている。
    こんな考えが殉教者を生み社畜を生み出す。困ったもんだ。








    車に乗っている人なら自賠責保険の他に、殆どの人が任意保険に入っているはず。
    事故に遭ったら怖いからね。
    地震や火事が心配な人は地震保険や火災保険に入って万一に備える。
    老後が心配な人は貯金して、働けなくなった時に備える。
    それでは自分が死んだ後の事を考えて備えている人はどれだけ居るだろうか?
    リアルで同じ質問をしたところ、「死んだ後は無になるだけ」とか「死んだら死んだ時だ。死んでみないとわからない」という返事をされた。大方の反応だと思う。
    しかし、交通事故に関してだったら「俺は運転に気を付けているから事故は絶対に有り得ない。任意保険は必要無い」とか、老後に関してだったら「歳をとって働けなくなったらその時はその時だ。将来の備えなんか必要無い」と考えて全くなんの準備の必要も考えない人間は居るだろうか?仮に居ても大いに能天気と言わざる得ない。
    一生のうちで遭遇するかどうかわからない交通事故や火事や地震(まあ、日本の場合地震は高確率だけど)や老後には備えるのに、何故、確実に来る自分自身の死後には備えないの?
    仮にコロナに罹らなくても、ワクチン開発されても生まれたからには必ず死ぬ。老後が無い人はいても死なない人はいない。
    死んだら無になると自分なりに考えている場合でも、可能性の一つとして来世があった場合の備えをしておくべきではないだろうか?
    臨死体験をした脳神経外科医のエベン医師など、死後の世界があると主張している医者も結構いる。
    脳科学の分野でもエックルスやペンフィールドなどの著名な学者が唯物論に反対している。
    死後の世界を否定して唯物論を主張している人はインテリが多いように感じるけど、果たして彼らより人類の脳や精神といったものに関しての知見があるのだろうか?


    (長くなったので続く)

    運命は自分の行いが作り出すもののようですね。

    結論から申し上げますとそういう事になるのでございます。
    だから、過労死や自殺や生活苦等を量産し人命を軽視する社会システムは早急に変える必要がある訳だ。この記事でも問題提起した。

    http://fotp-blgc.com/archives/7175287.html

    なぜ、人命は地球より重いと言えるのか?それは「人間に生まれてきた事が物凄く稀有な事である」という事と「人間に生まれてきた時にしか果たせない目的がある」という2つが理由だ。

    地球上だけでも、微生物や植物や虫や魚や両生類や爬虫類や哺乳類など沢山の生物種があり、それらの個体数を考えると相当膨大な数になる事は間違いなく、世界人口が70億とか80億とかといっても地球上の全生物個体数と比較した場合、人類が占める割合は僅かなものになる。
    人間に生まれる事の珍しさを譬えた話として「盲亀浮木」の話がある。
    どんな話かは調べればわかるから、割愛するが、要するに宝くじなんかとは比較にならない程の低い確率という事だ。
    だから、仮に今死んだとしたら、殆ど永遠に人間には生まれられない。

    しかしただ、珍しいという事だけでは、必ずしも貴重という事にはならない。
    それそのものの価値が無ければ貴重とはならない。
    仏教では「人間に生まれた時にしか極楽に行くチャンスは無い」と教えられている。
    他の動物に仏が○○で△△なんて話しても分かるはずがないから当然だ。
    つまり、極楽に行くために今現在ある命が貴重という事が言える。

    そう考えると人間に生まれて今現在生きているという事は、千載一遇のボーナスステージの只中に居るという事だから、自分や他人の命を絶つことは愚かな事であり、してはいけないという事が言える。






















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